たそがれイリーの「なるようになるさ」

なるようになるさ。いいことがなくたっていいじゃない。悪いことがないんだから。日々平凡…なるようになるさとつぶやいて、明日を目指してまた生きる38歳、言葉を紡いで暮らしていきたい男のブログです。



友人代行(レンタルフレンド)だなんて・・・ついにここまで来た「お金で買える」時代

 レンタルフレンド、つまり友人代行と言うサービスが都市圏では話題になっているとのこと。本日のyahooトップにもニュースがあがってきましたね。

 

 正直言って、驚きです。お金を出して友人代わりの人間を雇ってリアル社会で充実しているように見せかける・・・のか、それとも本当に寂しいから、お金を払ってでもこの寂しさを埋めてほしい・・・のか、いずれにせよ「友人」をお金で手配することができるということ、このことにすごく驚きましたし、悲しくなりました。

 

 これからの時代は、むしろ「孤独」を楽しむことができる人間が強いのかもね。ああ、もちろん友達も知り合いもいないという孤独ではなく、時には自分から「孤独」を選んで、自分と向き合ったり、自分磨きをしたりとする・・・そういう「孤独」を楽しむことができる人間が強いのではないかと思うのです。

 

 そもそも、友人代行をする理由の遠因には「一人ぼっちであることを隠したい」と言う部分もあります。この場合の友人は、喜怒哀楽を共有して自分の人生を豊かにする存在と言う意味よりは、本当にゲームでいう「ステータス」「アイテム」として友人が欲しい、と言っているように思います。もちろんそれは「間違い」であろうと私は断言します。

 

 それでも勤務環境や生い立ちなど、友人の代行が必要だと説く意見もあると思います。私はそれに半分同感します。

 

 半分同感できないのは、友人ができない環境にした「社会」が悪い、つまり社会の問題だとなんでもかんでも政府国家が救済すべきと言う偽善論を振りかざす人間がいるから。いつから国民個々の人生を、ケース別に分けて対処してやらねばならないと決まったのだと言いたい。

 

 社会が悪いのかもしれないけど、そんな同じ社会の中で生きている人の中には、努力して友人に恵まれている人はいっぱいいるじゃないか・・・そういって偽善論を叩き潰してやりたくなります。

 努力している人間とそうでない人間、最終的に努力の部分を考慮せずに全国民均一論を振りかざすような偽善者は今後二度と努力と言う言葉を使わないでもらいたい。

 

 努力すれば報われると言われて頑張ってきたのに、「ごめんね、報われなくなっちゃったよ」と言われて、社会に放置された今どきの30代。

 

 僕もそんな中の1人だけど、社会が悪いと下を向くことはしない。今できることを、できる限りやるだけじゃないか。平凡な毎日を積み重ねて、人生をささやかに謳歌するだけじゃないか。