父親の遭難費用を浄財で賄おうとしたボウケンブラック=斎藤ヤスカくんの話
斎藤ヤスカ「恥ずべき行動だった」
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/entertainer_blog/?id=6095388
ボウケンブラック。
いやあ、子どもが幼いころだったんでよく見てたんですけど、斎藤くんよりは斉木しげる(=名人)とか末永遥さんしか注目してなかったんで、正直ピンとこなかったんですけど、まさかこんな形で彼がニュースになるとは。
実際、自分が同じ境遇になったら何とかしようとは思うけど、募金を募ろうとは思いません。正直言って。
確かに、お金があれば何とかなると言われて、何とかなるのなら、自分のチカラだけで何とかしようとしますね。そこでなぜ「寄付」と言う選択肢が出て来るのかと言うのが、一般人には理解できなかったのでしょうね。芸能人と言う特権を活かしてこういうことができるという部分に、嫉妬があったのかもしれません。
よく世間でも「〇〇ちゃんを救う会」とかが募金活動をしていますよね。でもあそこには実際何をしているんだろうという疑問を口走ることを許さないような大義名分が存在している。浄財なんだから、一度払った善意に対しては何も異議は申し立てないし、そんなことをするような人間は何と金に汚い人間だろう・・・とでも言いださんばかりの雰囲気を醸し出している場合すらあります。
でも、この場合は「金に汚い」のではなくて、自分の善意がどうなったかを知りたい、確かめたいという、善意の気持ちを持った人間であれば当然の「行為」なのです。それを理解せずに募金活動をしているのであれば、非常に危険です。
職業柄、いろいろな募金活動に出会う場合があります。ちょっと思い出したので、ここで書かせてください。僕自身が「???」と思ったことです。
その1。
学生が募金活動をしていた。〇〇ちゃんがアメリカに行かないと心臓移植ができない、だからそれらの費用も含めて1億円かかるので募金活動をしていると。
でもその場所は、明らかに路上で様々な行為が禁止されている場所。僕は募金をしつつも「ここでは許可がいるんじゃないの?」と言うと、学生は真っ赤な顔をして怒り出す。
「いいことをしているのに、許可がどうとかおかしいです。私たちはいいことをしているんですよ!」
その2。
ご縁があった人の紹介で、チャリティーライブに参加することになって、久々に司会をすることになった。
ライブ会場には〇〇ちゃんという、難病で苦しんでいる子どもさんが来ることになっていた。もちろん紹介するのは僕。
そして〇〇ちゃんのお母さんは、ピアニストとして海外の大学に行って勉強してきた人でもあって、その日のライブの締めくくりは自作の曲を披露し、子どもへの愛を音楽で訴えるというシナリオだった。
打ち合わせを念入りにして、司会原稿を見てもらって、お母さんにもOKをもらった。でも、直前にお母さんから自身のオリジナルCDの販売についてもしっかりPRするように念押しがあった。
「実際のところ、私が音楽の道で食べていけるようになるのが目的です。それがデキれば、結果的にこの子も生活が安定して、この子の為にもなるんです」
2つの思い出を書き綴りました。
賛否はいろいろあると思いますが、僕自身は「おかしい」と思っています。おかしいかどうかをどんな物差しで見極めたのかと言えば、やはり「善意」です。
善意は、きっと協力した人が「いい結果になりますように」と望み、その結果とはもちろん、その子が元気になる、病気が治る、手術ができる・・・そういう理由のはずです。
いい結果を出すためにあらゆるルールを曲げてもいいとは思いませんし、その子とは直接関係のない誰かの生計を成り立たせるため・・・それが協力した人の望みではないはずですから。
ちなみに、これが末永遥さん。