たそがれイリーの「なるようになるさ」

なるようになるさ。いいことがなくたっていいじゃない。悪いことがないんだから。日々平凡…なるようになるさとつぶやいて、明日を目指してまた生きる38歳、言葉を紡いで暮らしていきたい男のブログです。



他人と分かり合おうなんて、しない方がいい。

さて、こういう書き出しの文章を見て、それぞれにどう感じられただろうか。

 

「なんてことを書く奴だ」と思われた人は、聖人君子か、人間関係が充実しているか、人間を信じられないなんてかわいそうな人ねと僕をののしる偽善者か、三者択一のように思う。

 

「ごもっともだ」と思われた人は、人間関係で何らかの悩みを抱えているか、悩みを抱えていたか、あるいはそんな時代もあったねと回顧して頷いてくださる方か、これも三者択一のように思う。

 

「そうなのか・・・」と納得してしまうような人は、今まさに人間関係の悩みを解決しようとアクションをしているか、自分自身が人間関係を作りあげることができなくて困っているか、そうだよねと自分に言い聞かせて人間関係が破たんしている事実から目を背けようとしているか、これも三者択一。

 

そして奇遇なことに、私が掲げた答えも、三者択一。いやまてよ、本当にこの三つの選択肢だけでいいのかと、四つ目の選択肢を考える人もいるかもしれないし、そんなことよりこいつはどうかしているぜと、僕に向かって何らかの反論を考えている人も入れないし、むしろこんな奴は放置して笑いものになればいいと、上から目線で僕と僕の主張を侮蔑している人だっているかもしれない・・・おや、これも奇遇なのか、三者択一になってしまった。

 

1人が三者択一の意見を持つ。では5人でミーティングをしていれば、5×3=15通りの意見が出て来る。では10人の課内であれば、30通り。40人の学級であれば、120通り+先生の意見3つ=123通り。こんな単純な計算をしてみても、「よく人間と言う生き物は他人と共存して生きているものだ」と、背中に寒気が走る。

 

もう一度主張しますけど、他人と分かり合おうなんて、しない方がいい。それよりも、もっと大事なことをした方がいい。

 

だって、自分のことが分かっていないのに、他人を理解できるわけがないじゃないか。

 

桜が咲き、桜が散る。若葉が出て、萌えるような緑色となり、やがて秋の彩に身を染めて、極寒に耐えるために、葉を散らす。この過程で、桜が人間の心に何かを訴えるために咲いて芽吹いて、そして散っていくと思いますか。そんなことはないでしょう。桜は自らの生命を精一杯咲き誇ることから、一生を始めるのですよ。にんげんだっておなじではないですか。

 

自分を理解すればこそ、他人と分かり合える。桜の花びらが散るころ・・・いや、地方によっては桜の花が咲くころ、それぞれに自分に向かって問いかけて見られることを、ぜひお願いしたい。

 

それだから春は、大好きだ。