書けばかなうということなので、今から終末までの人生をイメージして、書き綴ってみる。
40歳。
娘が中学生になっていて次第に口を聞いてくれなくなる。
でも、関ジャニ∞のライブに行くとなれば、父はATMになる。
息子は相変わらず自閉症というわけで、言葉を発することはないが、目と目で通じ合って様々な生活所作ができるようになる。
45歳。
娘は成人を迎えて初めて彼氏ができ、彼氏に面会させられる。
結婚と言う言葉を飲み込み、そこらへんの成田屋で酒を飲まされる。
案外今どきの若者もしっかりしているものだと再認識させられる。
息子は相変わらずだが、単純な仕分け作業ができる内職を見つけて、妻と息子が自宅で仕事を始める。
50歳。
週末になったら趣味のうどん打ちを活かし、実家に帰ってうどんを打ち始める。
この頃には購入した一軒家(平屋)も夫婦+息子しかいなくなる。
この歳に娘は結婚して嫁いでいく。娘のいなくなった空間が寂しくて、そのスペースを埋めるように大きな麵打ち台を置いてみると、うどんが打ちたくなって週末はうどんをふるまうようになる。
55歳。
妻と息子の内職が徐々に軌道に乗り、資金がたまったこともあって夢であった福祉作業所を開設する。
妻が理事長のNPO法人を設立し、その一環で週末にはうどん屋の店主を勤めることになる。
幼稚園教諭になった娘は孫を連れて週末には看板娘として遊びに来るようになった。
60歳。
今の仕事を退職するつもりが・・・もうちょっと働いてみたくて、近所の公民館長を募集していたのを見つけて、応募してみると、採用されていた。
次第に私たちの住処がNPOの事務所と作業所で手いっぱいになってきたので、住処を自身の実家に移す。これで先祖の墓守りができるであろう。ついでに先祖伝来の田畑を使って無農薬野菜を本格的に栽培し始める。
65歳。
近所の駅が利用者の減少で無人駅になることを聞きつけ、NPO法人として改札業務を受託する。公民館長から駅長への華麗なる転身。
駅の待合室を使ってカフェを始める。本当は駅うどんを売りたかったが、季節商品だろうということで妻に反対されてカフェに鞍替え。
うどんのかわりにパスタをうち、ランチメニューとして売り出すと、タウン誌が取材に来てそこそこにほめてくれる。
70歳。
持病の痛風が悪化して駅の改札に座って口だけ動かすようなありさまになり、娘や孫に怒られる。
息子は相変わらず無口だが、NPOの職員さんたちが息子を含めて、多くの人たちを支えてくれている姿を見て、安心する。
妻は元ジャニーズの横山裕とかなんとかいいつつ、あこがれだったアイドルが中高年になっても追いかけている。今日も大阪に出向くそうな。
75歳。
なんとか痛風は改善したものの、今度は記憶障害が始まる。
このままではいけないと今までの自分を振り返って本にしようとするが、よくよく考えるとこの歳になるまでブログを書いていたので、そのまま本にすればいいやと考え、なぜか書籍化する。
駅のカフェに置いてもらうが、年寄りの自己満足本レベルと言うことでぞんざいに扱われる。
結末。
結局夢だった文芸家にはなれなかった。
でも、NPOを作り、夫婦そろって自閉症の息子の居場所を確保することができた。
性格が自分に似ている娘は、幼稚園を退職したらNPOの理事長になると決めてくれているので、ますます安心。
駅で飼っていた猫を駅長にしておかなかったのを悔やみつつ、永眠。
最後の言葉は「ご迷惑をおかけしました」。
と言う人生の終わりを迎えられるように、週末からパスタづくりを頑張ってみます。