たそがれイリーの「なるようになるさ」

なるようになるさ。いいことがなくたっていいじゃない。悪いことがないんだから。日々平凡…なるようになるさとつぶやいて、明日を目指してまた生きる38歳、言葉を紡いで暮らしていきたい男のブログです。



天皇陛下を利用しようとした山本太郎参議院議員の件。


山本太郎議員、秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡し - YouTube

 

これはいかんでしょ。

政治に関わることを避け、国民の象徴として国民の信望を集めておられる、かの天皇陛下に、こともあろうに国会議員が手紙を渡す、それは自身の政治信条である「反原発」のアピールであったとは、何とも情けない。

 

「平成の田中正造」とでもいえば聞こえがいいのかもしれない。

しかし、天皇陛下が招かれた「秋の園遊会」の場所で、政治的なアピールをするというのは明らかにいただけない。招かれた人間は、招かれた場所と、招かれた理由を認識したうえで所作ふるまいをすることが欠かせない。それができないで何が国政をつかさどる国会議員と言えようか。

 

確かに、反原発と言う選択肢は今後の日本政治の中で重要な要素だ。原発についてイエスかノーかと言うことは、国民それぞれが標榜してしかるべきだと思う。

しかし、反原発を掲げることが、国民の総意ではない。反原発を掲げることが、所作ふるまいを気にせずに「正義」としてすべての行動をイエスとするものではないということは、国民の方がよく知っている。

 

韓国の李明博前大統領は、天皇の戦争責任と謝罪を明言し、今日に至るまでの日韓関係冷却化を招いた。あれほど従軍慰安婦問題などはあったけれど、戦争責任と経済、韓流ドラマは別と言っていた日本国民も、李明博氏の天皇発言を機に、韓国と言う国に対して違和感を覚え、違和感があることを標榜するようになった。

つまり天皇陛下を政治の場に持ち出すことは、日本国民の望むことではないし、それが起こってしまった時の反応は、当面の国是を変更するだけのエネルギーを秘めているということ。

 

開けてはならないパンドラの箱を開けた山本太郎氏。今回の出来事を踏まえ、しかるべき姿勢で日本国民のために汗をかいていただきたいと思わずにはいられない。