たそがれイリーの「なるようになるさ」

なるようになるさ。いいことがなくたっていいじゃない。悪いことがないんだから。日々平凡…なるようになるさとつぶやいて、明日を目指してまた生きる38歳、言葉を紡いで暮らしていきたい男のブログです。



絶叫戦術と秘密保護法案

秘密保護法案の成立を巡って政治家も思想家も国民もさまざまな声を上げているということ、新聞やニュース番組、インターネットでもよく見ます。

 

「政治のひそひそ話をしていても警察の取り調べを受ける場合がある」

原発の様子が気になって東京電力の友人に電話してたずねると自身も友人も罪になる」

「政治家や役所の批判は即法律の罰対象となる」

 

などなど。どこまでが真実かはわからないですが、法律というものを解釈するにあたって、拡大解釈すればここまでの解釈も可能だとは思います。

 

法律はあくまで法律です。法律というものを重んじるから「法律」なのであって、北斗の拳の世界みたいに暴力が支配する世界になってしまえば、つまり誰も法律の事なんか気にしなかったら、意味がないわけです。逆を言えばみんなが「法律」を大事にする、尊重するから「法律は法律たりえる」のです。

 

最悪の法律などと言う意見も多く聞かれますが、まずは「法律」と言う仏様に、しっかりと魂を入れることが必要不可欠だと思います。こんな仏様に魂などこめられるか、嫌いな隣の隣人が拝んでいる仏様なぞ敬うに値しない・・・こういうレベルの反対運動でないことを心から願ってやみません。

 

国内を二分する政策論争はいつの時代もありました。子供心に覚えているのは国鉄の民営化です。〇〇本線と名前の付いている線路以外は全部廃止されてしまう、だから国鉄は民営化してはいけないという話を聞いた途端、子供心に驚いて、急いであの線路の電車に乗せてと親にねだったことを思い出しました。でも実際はそうなっていない・・・政策論争の果てとはいえ、人々の恐怖心や不安感”だけ”を煽るような政争は、もうご勘弁です。