たそがれイリーの「なるようになるさ」

なるようになるさ。いいことがなくたっていいじゃない。悪いことがないんだから。日々平凡…なるようになるさとつぶやいて、明日を目指してまた生きる38歳、言葉を紡いで暮らしていきたい男のブログです。



もう12月だけど、今年のうちにやっておきたいこと。

今週のお題「今年やっておきたいこと」。これがはてなブログの現在テーマになっているので、せっかくだからいろいろ書いてみようかなぁ。

 

今年ほど他人が自分を見る目を気にしたことはなかったような気がします。異動もしたし、新しい場所で自分がどうみられるか、あるいは自分がどういう能力を求められているのか、とにかく他人の目を気にしてしまうばかりだった気がします。

 

元々自信はもちろん、自身(=自我)もない人間ゆえに、自分の信念というものもまず他人の評価を求めることを優先して生きている、その基本的な資質が特に今年は優先されたというのも感じました。この期に及んで、振り返りながらこの文章を書いていると、そう感じたのです。

 

自分の悪い癖なんですよ。能力ないけど、他人に評価されたいから頑張る。でもひょっとすれば他人なんて、その時の仕事を僕に押し付けたいがために「がんばって」「君の能力ならできる」とか言ってるかもしれないのに、そんなことを言うほど人間はあくまではないだろうとか思いつつ、色々やってみる。神様だって潰れてしまうような試練は僕に与えないだろうと、天を仰ぎながらぜぇぜぇ息をして、なんとか毎日を生きている。今年の僕はこんな生き方だったのかも。

 

たまに聞くこともありました。自分でも一生懸命やっていたつもりなのに、はたから聞いた話では「なんかできる人を演じている」とか「変に格好をつけて仕事をしている」とか、自分自身はそんなことも考える余裕がないのに、はたの他人はそういう目で僕を見て、僕のいない場所でそういう。これを知ったことが年に数回ありましたが、こんなに悲しいことはありません。

 

実際、ここまで言われるということは、僕自身が気づかない慢心があったのかもしれません。そう考えてこの1か月ほどは眠れない夜を過ごすこともありました。慢心してるつもりは毛頭ない。でも他人はそういう。人の心が分からなくなって、正直言って他人を信じられる状況ではないのも、今年の僕です。

 

せめて、自分のことは自分だけでも信じてやりたいです。でも、前述したように能力がないくせに着飾っているような自分であるならば、本当に死んででも治してただしてやらないといけないと思ったりします。慢心や傲慢を持っているならば、そんな人間は死んだ方がいいと思います。謙虚さと優しさ、この2つをしっかりと持てるようにならないと、生きていく価値もないでしょう。

 

今年のうちにやっておきたいこと、ありましたよ。

 

私に関わってくださった、すべての方々に心からお詫び申し上げることです。こんな人間に関わっていただき、本当にご迷惑をおかけしました。切にご容赦を願います。