たそがれイリーの「なるようになるさ」

なるようになるさ。いいことがなくたっていいじゃない。悪いことがないんだから。日々平凡…なるようになるさとつぶやいて、明日を目指してまた生きる38歳、言葉を紡いで暮らしていきたい男のブログです。



大阪都構想と橋下徹の「自信」

 大阪市橋下徹市長がにおわせていた通り、やはり大阪都構想を巡り、出直し市長選になりましたね。

 

 大阪都構想を推進するための住民投票への道のりが挫折したことを受けて、市長を辞職しての出直し市長選挙と相成りました。大阪都構想日本維新の会、いや大阪維新の会が政治団体たる所以ですから、譲れなかったのでしょうね。

 

 最近見てみると、あの傲慢とも勘違いされそうな発言ばかりだった橋下徹さんも、すごく静かに、そして淡々と語っているように見えました。ある意味、騒いでも歩いても話題になっていたころからすれば、凋落そのものでもあったと思います。

 

 橋下徹と言う自身のブランドは凋落したかもしれないが、大阪都構想には賛同が得られている。それを確認するための通過儀礼を欲したのかもしれませんね。それほど大阪都構想には自信を持っているのでしょう。ただ、その通過儀礼には、政治家たる橋下徹自身のブランドを凋落どころか、無価値にする可能性もあることは承知のはず。まさに橋下徹流ギャンブルなのでしょう。

 

 世の中「自信」が持てれば、どんなに毎日が楽しいかと思います。ですが自信が持てないとメンタルを病んだり、自宅から一歩も出ない人がいる・・・自信がないからそうなんだ、世間一般ではそう思われています。

 

 ですが、私が想っている状況はちょっと違います。むしろ「自信」がある人間こそ、出てこないのです。心を病まないのです。

 

 自分を安全な場所に置き、自身の安全を確保しつつ、他者を攻撃したり、社会に介入する。これは、インターネットがもたらした弊害の1つかもしれませんが、この弊害とて使い方を間違えなければいいわけです。でも間違ってしまう場合がある。

 

 それはなぜか。そこに「自信」が関わってきます。攻撃されない、防御が完璧となれば、安心して攻撃に専念できます。批判されずに人を批判できれば、これほど楽なことはないです。それができてしまう時代でもあるのです。

 

 そういう意味でいえば、自らの政治生命をかけて、リアルな社会の中で人を批判し、批判を受け止め、自身の自信を信じている橋下徹という人は、別の意味で妬まれてしまったのかもしれません。手法はともかく、主張の中には正論もあったので、このまま凋落してしまうのは残念です。