たそがれイリーの「なるようになるさ」

なるようになるさ。いいことがなくたっていいじゃない。悪いことがないんだから。日々平凡…なるようになるさとつぶやいて、明日を目指してまた生きる38歳、言葉を紡いで暮らしていきたい男のブログです。



ユニセフのありかたとかどうとか。

ユニセフがどうとかこうとか、「アグネスvsひろゆき」を煽るマスコミとか、本当にネタに困ることがない世の中だなぁと思ってしまう今日この頃。

 

募金の81%を送る日本ユニセフ、募金の100%を送る黒柳徹子。どっちが正しいかわかるだろう…と言うのがひろゆき氏の投げかけた問いかけなのだけれど、17%がアグネスのポケットの入ってるわけでもないだろうに、それをどうも「入ってる」と言わんばかりにアグネスバッシング、日本ユニセフバッシングを行っている人間と言うのは、どうも理解できない。

 

募金と言うのは送ってしまえばゆだねてしまうしかない。もちろん、こちらが募金をしたくなるには相当の理由が必要で、その理由を募金主催者は「説明」し、「理解」してもらうために相当の努力が必要だ。その努力にどうしても金銭が必要なのであれば、17%分のうちいくらかでも支出するのはやぶさかではないのではないかと思う。

 

ボランティア精神に反すると批判される人もいるだろうけど、ボランティアと言えばNPOを見習えと賛美される方も多い。でもNPOは利益を上げてはいけない団体ではなく、「団体の維持発展のために必要最低限の利益を上げてよい」団体であり、決して活動そのものがボランティア活動だけではなく、自分たちの団体を維持発展させていくために、利益を生み出して支出している。ボランティア活動で利益を上げるとはどういうことだ!とお怒りになる人もまだまだ多いのだけれど。

 

ボランティア活動や募金活動、これって「継続性」が必要不可欠だと思います。災害であっても数日、数週間で復興するわけがないし、長い間の支援が必要です。支援の形にも金銭の提供だけではなく、カウンセラーの派遣や物的支援など、様々な形の支援のありかたがあり、それにはどうしても必要な費用が生じるのです。そしてもちろん、継続して取り組むだけの組織が必要不可欠です。

 

だから、17%がどうこうと目くじらを立てるのではなく、なぜ17%なのか、もっと送る方法はないのかと、現実的に「多くの善意をより困っている地域や人へ」と考えるべきだと思うんですよ。そういう建設的な議論をするならばいいけれど、アグネスがどうだ、ユニセフがどうだ、ひろゆきがどうだと所詮末葉レベルの話だけでもりあがってしまい、本質的な部分の議論になっていないのが非常に残念です。

 

実際、これを機にユニセフへの募金が増えるといいのにね。